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平林寺境内図
新座市野火止の金鳳山平林寺は風格ある禅宗伽藍が並ぶ境内、武蔵野の面影
を残す広大な境内林がある関東でも有数の禅刹です。平林寺は臨済宗妙心寺派の
禅の専門道場でもある。平林寺は南北朝時代の永和元年(1375)に現在の岩槻
に創建されました。開山には京都天龍寺や鎌倉円覚寺・建長寺などの住職を歴任
した高僧石室善玖が招かれました。嘉慶元年(1387)に鋳造された石室が銘文を
書いた梵鐘が今でも残っていますがいつの頃か平林寺をはなれ現在は茨城県
下妻市の大宝八幡宮に納められています。岩槻の地はその後扇谷上杉氏重臣の
太田氏の所領となり戦国時代末期には後北条氏の支配するところとなりました。
天正18年(1590)豊臣秀吉の後北条氏攻めによって岩槻は落城、城下の平林寺
も伽藍のほとんどを焼失しました。後北条氏滅亡後関東に入国した徳川家康の仲介
により鉄山宗鈍が中興開山として招かれ天正20年(1592)平林寺は復興します。
中興開基となったのは鉄山と縁の深い家康の譜代の家臣大河内氏でした。大河内氏
から出、江戸幕府老中になった松平信綱は野火止一帯の開拓を進め野火止用水を
開削し、菩提寺である平林寺を自領の野火止へ移すことを計画しました。平林寺の
野火止移転が実現したのは信綱没後の寛文3年(1663)でした。鉄山宗鈍が中興
開山となって以来、平林寺は妙心寺派の禅宗寺院として発展してきました。明治37年
(1904)大本山妙心寺へ僧堂開単(僧堂を開くこと)の請願書が出され、平林寺に
東日本で初めての禅の専門道場が開設されました。以来、今日に至るまで多くの禅
僧を世に送り平成15年に100年の節目の年を迎えています。
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禅刹・平林寺(新座)
山門
色とりどり
楓と鐘楼
本堂庭園
赤あり緑あり黄色あり
見事な紅葉
見事な紅葉
山門近くの楓
野火止用水
平林寺堀
野火止用水
境内
境内雑木林
境内雑木林
境内雑木林
竹林
竹林